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マイク・ラム (1945年生の内野手) : ウィキペディア日本語版 | マイク・ラム (1945年生の内野手)
マイク・ラム(Mike Lum、1945年10月27日 - )は、アメリカ合衆国のハワイ準州(Territory of Hawaii)出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投げ左打ち。 == 来歴・人物 == 祖父が中国人で、中国系大リーガー第1号だった。アトランタ・ブレーブスでは1971年に右翼手の定位置を獲得するなどレギュラーとして活躍。1976年にはシンシナティ・レッズに移籍するが、当時ビッグレッドマシンと呼ばれた強力打線の一角に食い込むことが出来ず出場数が激減。その後ブレーブス、シカゴ・カブスを経て1982年に当時の横浜大洋ホエールズに入団。前年のピート・ラコックに懲りて真面目な選手を採用するも、全盛期を過ぎており平凡な成績ながらも勝利打点は田代富雄に次ぐチーム2位の8を記録したが〔ベースボールマガジン、2011年9月号、P104〕同年で解雇。チーム最終戦は中日ドラゴンズが勝利してリーグ優勝を決めた試合だが、この試合の最後はラムが小松辰雄に三振を喫して優勝が決まったため、このシーンは中日優勝時に「思い出の映像」として度々紹介されている。よって大洋ファンのみならず中日ファンにも印象に残る選手でもある。もっとも、中日が優勝を争った巨人との最終戦では江川卓からトドメの本塁打を放っている。引退後は大リーグ数球団でコーチを歴任し2006年には千葉ロッテマリーンズの打撃コーチの候補になったことがある。
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